80回目の原爆の日を迎えました。
8月6日。 ブログの主ナズトロは、いつもより少し早く起床し、出勤のためいつも通り身支度を済ませ自宅を後にしました。 通勤路として毎日通る、原爆ドームを一望できる相生橋。 早く起床して外出した以外は、特段何も変わらない一日。 きっと80年前も同様に、これまでと全く変わらない朝を迎えていたことでしょう...8時14分までは。 80年前の1945年8月6日、午前8時15分。 これまでと変わらない朝を迎えたこの日、一発の爆弾によって何十万人もの人口規模を持つ一つの街が一瞬にして消滅しました。 何気なく迎えた朝から一転、焼け野原となった広島の街をみて、当時被害を受けた方々は絶望の淵に立たされたことと思います。 その絶望は、現代を生きる私たちが想像しうるものではありません。 しかしそのような絶望の中、先代の広島の方々はかすかな希望を胸に、広島復興のために尽力されました。 原爆が落とされた後の広島は、その後75年は草木も生えぬ人の住めぬ土地だといわれていましたが、今ではそのような面影は一切ありません。 そうした先人たちの努力により、広島は劇的な復興を遂げただけでなく、無事80回目という節目の8月6日を迎えることができました。 その80回目の8月6日という一日を迎えることができたのは、決して当たり前ではないことを、8月6日の原爆の日という特別な日が思い出させてくれます。 私がこの8月6日に少しだけ早起きをして出勤したのは、80年前の今日、原爆が落とされた午前8時15分に合わせて、原爆を通じて亡くなられた先人たちの無念を慮り、生き残られた先人たちのたゆまぬご尽力への敬意を示すため、黙とうをささげたかったためです。 昨年と比較して、世界情勢はよくなっているとお世辞でも言えません。 ウクライナ問題、中東問題、台湾有事...挙げればきりのない、世界的規模での問題はいまだ解決されていません。 それどころか世界的な問題を背景に、日に日に世論は過激思考に移っており、とどまることを知りません。 そのような中で「平和都市広島」の立場も、難しくなってきているように感じます。 本来、広島での8月6日という一日は、私が上記に示したように、苦しい思いをされながら亡くなられた多くの犠牲者の方を弔い、そして今の広島を築き上げた先人に敬意を示し、80年前の戦争を教訓に平和維持へ尽力していくことを誓う一日...